今日は思いっきり闇を暴いてやろうと息巻いておったのですが、あまりに素敵な投稿にまたまた感動したのでシェア、拡散します!
参加者の喜びの声を聞くたびに、今回のイベントには大きな価値があったんだと実感してます。
そして、関われた事に感謝します。
一方で、このような企画を発信すると必ず一定数の否定派が現れます。
でも彼らには何の罪もありません。西野亮廣風に言語化すると、【その昔に諦めて捨てた自分を肯定している】だけなんです。
いつかの自分が捨てた物(挑戦)を大事にされて宝物(成功)に変えられてしまうと具合が悪いわけです。
例えば、パチンコで何万円もつぎ込んだ台を諦めた時、その台に次の人が座り、すぐ大当たり出されると都合が悪いわけです。だから「この台、出ないよ!やめた方が良いよ!」となるわけです。
#パチンコしないくせにパチンコで例える奴ですが何か?
一見、心配しているようにも見えますが内心穏やかではないのでしょう。
気持ちはわからないでもないですが、僕の場合、【大当たりが出た途端に人に譲るタイプ】の人間に出会った時に惚れてしまい、カッコいい!!と思ってしまうので、そういう仲間を増やしたいし、僕もかくありたいと思っています。
「そんな奴いるのかよ!」と思われるかも知れませんが、最近僕が出逢った人達の中にはそんな人達がゴロゴロいます。
#大当たりがでるまでの攻略が面白くてパチンコをやっているタイプ
では、そんなチョロい連中から搾取してやろう!と思われる方がいたとしたら、それはきっと徒労に終わりますのでオススメできません。
そういう方達は、ただただお金をばら撒くわけではなく、ちゃんと席を譲るべき人、勝たせた方が良い人を見分ける嗅覚を持ち合わせています。
だからこそ、望まなくても結果としてちゃんと返ってくるのだと思います。
レベルだとかランクという言葉を使うと、とんでもない誤解を招いてしまいがちなので注意しなければなりませんが、人の【意識レベル】には明確な差があると実感しています。
類友とはよく言ったもんです。
自分がステージを上げる努力をすれば、自ずと類に変化が現れます。
長らく暗闇にいたので、簡単に出られるとは思っていませんが光を射してくれる仕事仲間や友人達に恵まれたお陰様で僕は前向きになれています。
神の存在は以前にも増して一切信じなくなりました。罰当たりだろうが何だろうが、これ以上ない罰は与えられましたから未練はありません。
そんな見えもしないし頼りにもならない幻想よりも、毎日僕の安否確認で電話をくれる友人。僕にハグしてくれて一緒に号泣してくれる友人。話を聞くから飲みに行こうと誘ってくれる友人。優しい言葉を沢山くれて、落ち着くのを待っていてくれる友人。私達は何でもやりますから先生の良きようにして下さいと言ってくれる仕事仲間。僕なんかよりずっとずっと暗闇の中にいるであろう残された家族の面倒をみてくれているお義父さんやお義母さん。
彼等や彼女等が僕にとっては神のようなものです。
彼等に何かあった時、今度は僕が光を射し示す存在になるためにも早期に『悲しみの森』から出ようと思います。
今は皆に心配させない為にも何かに夢中になって「勇樹は大丈夫そうだ!」と思ってもらえるようにいろいろ始めたいと思っているところです。
「もうちょっと悲しんでもらってて良いですか?」
と言われるくらい頑張りたい!!
#すでに鬱陶しい
優頼が生きていたら笑顔になってくれそうな事を考えていたら、やりたい事が沢山浮かんできました。
もし、これを読んでいる仲間がいるなら、そのうち巻き込むので覚悟しておいて下さいね!